1: 樽悶 ★ 2019/08/13(火) 23:47:56.91 ID:8yHRFexD9
百舌鳥・古市古墳群をテーマにした講演会=大阪府河南町大字東山の府立近つ飛鳥博物館で、山本夏美代撮影
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 世界遺産「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」の登録決定を記念する特別講演会が先月、河南町東山の府立近つ飛鳥博物館であった。古墳研究の第一人者、同館名誉館長の白石太一郎さんが同古墳群について「古代日本の歴史を考える上でも貴重な歴史遺産、歴史資料」と語り、約300人が熱心に耳を傾けた。

 白石さんは「エジプトのピラミッドや中国の秦始皇帝陵と並ぶ巨大で特異な古代の帝王墓群で、人類共通の文化遺産であることは言うまでもない」と語り、百舌鳥・古市古墳群出現の背景に迫った。

 当時の日本は古墳時代(3~7世紀)。大和や河内の大首長(後に大王・天皇と呼ばれる)が中心のヤマト王権が、各地の首長たちと政治連合を形成していたとされる。この時代、規模の違う前方後円墳が北と南を除く日本列島各地に存在、それらは同じ設計により造営されたと考えられることから、政治連合を形成した様子がうかがい知れるという。

 古墳は、政治勢力の本拠地に造られるのが原則であったと考えられるという。大王墓と思われる巨大な前方後円墳の造営場所をみると、古墳時代初期には奈良盆地東南部のオオヤマト古墳群に、同北部の佐紀古墳群を経て、4世紀末以降、大阪平野南部の古市と百舌鳥古墳群へと移った。

 この変遷から、河内(大阪平野)の勢力がヤマト王権の盟主権を掌握したことが分かるという。王朝の交代や大和の勢力の打倒ではなく、ヤマト王権内部での盟主権の移動であることを白石さんは強調。朝鮮半島の北に位置した高句麗が南下策を取り始めるなど、激しく変化する東アジア情勢の影響をあげた。

 情勢の変化に、邪馬台国以来の呪術的、宗教的な性格の強い大和の勢力では対応しきれず、古くから朝鮮半島との外交や交易を担当していた大阪湾岸の河内、和泉の勢力が、外交や政治の実権を掌握するようになったと考えられ、当然の成り行きだったとした。

 白石さんは「百舌鳥・古市古墳群が世界遺産になり喜ばしいが、今後どのように活用するべきか、議論が必要」と締めくくった。【山本夏美代】

毎日新聞 2019年8月9日
https://mainichi.jp/articles/20190809/ddl/k27/040/276000c?inb=ra

15: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 08:21:27.20 ID:eHMmiy3U0
>>1
>情勢の変化に、邪馬台国以来の呪術的、宗教的な性格の強い大和の勢力では対応しきれず、古くから朝鮮半島との外交や交易を担当していた大阪湾岸の河内、和泉の勢力が、外交や政治の実権を掌握するようになったと考えられ、当然の成り行きだったとした。

やっぱ考古学者の筋書きって幼稚だな
小説の方がまだリアリティあるわ

19: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 10:03:08.74 ID:jozTgZT10
>>1
飛鳥博物館名誉 白(ぺ)石太一郎 館長

現在の館長も引責辞任でOK

2: 名無しさん@1周年 2019/08/13(火) 23:48:38.29 ID:LLle2oWk0
卑弥呼は堺市にいたのか

3: 名無しさん@1周年 2019/08/13(火) 23:49:08.14 ID:9bak43I90
みすず学苑?👾

4: 名無しさん@1周年 2019/08/13(火) 23:49:54.13 ID:9bak43I90
no title

なんじゃ、こりゃ……

5: 名無しさん@1周年 2019/08/13(火) 23:50:18.86 ID:xAXE16ZS0
前方後円墳は火星でも見つかってるからな

11: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 00:10:01.93 ID:i96QdnVf0
>>5
やっぱり宇宙人説なん?

6: 名無しさん@1周年 2019/08/13(火) 23:51:03.06 ID:IDAU6AOx0
毎日新聞って文字が見えた時点で胡散臭さが

7: 名無しさん@1周年 2019/08/13(火) 23:53:22.44 ID:9bak43I90
中国の梁書に
高句麗と百済の服装言語が同じ
って記録されてるんだよな。

10: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 00:05:32.68 ID:7i4n3CEZ0
>>7
言語の研究では、半島中南部に日本語が最初あって(弥生人)、
北から高句麗等が南下した。百済(支配層)の言語は、高句麗系。
一方、新羅語は、日本語の影響が一番強い言語だったようだ。
新羅による統一で、一度は新羅語が半島の国語になったが、
約200年で再分裂。後高句麗改め高麗による再統一で、
国語が「高麗方言」が替えられた。
結果、今の朝鮮語は、日本語のベースに高句麗語が乗っかった
ものとなったらしい。

8: 名無しさん@1周年 2019/08/13(火) 23:58:48.81 ID:j2J4TIT50
漢の衰退期2C末(~3C頭?)に起きた倭国大乱で、
邪馬台は奈良にボコられ、列島での覇権を奪われた。
魏志倭人伝にある「女王共立」とは、新覇権国から、
男王(=剣を持つ王)を禁止されたということ。
この時、列島の覇権が九州邪馬台から奈良に移った
ということだ。
魏には、奈良の配下として朝貢させられてた(魏には内緒)。



9: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 00:01:00.34 ID:M7apMS2Q0
怪しすぎ

12: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 03:09:01.20 ID:0/ugXNke0
邪馬台国論争は畿内で決着済みですよ
良い子のみなさん、九州説みたいな学術的根拠のない俗説を信じてはいけません

国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c

13: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 05:14:19.92 ID:7BDFBMQI0
>>12
??????????????
それは、現在の「邪馬台国論争」の「構造」のことである
「邪馬台国畿内説」の証明はない
あるのは、ただ「はじめに邪馬台国畿内説ありき」なのである

ではなぜ、「はじめに邪馬台国畿内説」なのか
それはそのように教育されたからである
京都大学を中心として、その伝統にもとずき、考古学の分野で
そのような教育システムができあがっているからである

その教育システムからはずれれば、就職も生活も出世も不利となる可能性がある
「邪馬台国畿内説」はいま学問的、科学的にはきわめて多くの
問題をかかえながら政治的には勝利をおさめつつあるようにみえる

「邪馬台国畿内説」は、実証的根拠をもたない
出発点である「魏志倭人伝」の記述とあっていない
「邪馬台国畿内説」は確かな根拠といえる鉄の骨をもたない
土の虚塔である 空中楼閣である いつかはかならず崩壊する

「兵用 矛 楯 木弓  矛のでてこない畿内はありえない

竹箭或鐵鏃或骨鏃  鐵鏃のでてこない畿内はありえない

16: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 08:48:04.68 ID:cvXEE5BW0
首長たちによる政治連合
近畿辺りは様々な集団が共存していた地域
弥生時代後期は特に顕著で全国に先駆けて環濠が無くなった
守山の伊勢遺跡は正に首長連合を象徴する遺跡
倭国大乱で一旦その理想郷は潰えたが

多民族を受け入れ合議制をしく
この辺は遊牧民的であるし、一方で水田を中心とした農耕民的な面もある
上手く融合して、活力ある政治集団が作られていったのかもしれない

23: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 13:31:18.22 ID:kDgwKsE40
>>16
>弥生時代後期は特に顕著で全国に先駆けて環濠が無くなった

倭国大乱で揉めた直後の邪馬台国ではあり得ないな
やはり畿内はない

17: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 09:01:06.73 ID:cvXEE5BW0
商人と農民の融合かな

18: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 09:33:53.96 ID:L1BzJFrY0
コレが畿内説の現実。

20: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 12:40:27.83 ID:hj+9P2PF0
畿内説で固まってる。
九州説を唱えてるのは一部の者だけ。
何も変わらない。

21: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 13:06:41.52 ID:RAIx3tfF0
卑弥呼の倭人国家、邪馬台国は北九州にあって
畿内勢力より半島とは通訳無しで多言語操れたんではなかろうか
しかし、やがて畿内勢力に吸収され邪馬台国は通信支所として機能

そういうこと

22: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 13:29:21.70 ID:nqczjcMYO
卑弥呼と大和朝廷とは関係ないからな。場所が同じ奈良なら何処かで滅ぼされてんよ。何れにしろ滅ぼされとるから、百済か新羅かひょっとしたら狗奴国かってとこ、卑弥呼が越周系か半島系かもはっきりせん。朝廷祭祀にアマテラスはない。

24: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 14:45:55.06 ID:rPG72axU0
詳しいヤツ語ってくれ

卑弥呼の使った鬼道を考察
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/min/1565281773/

25: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 15:16:35.98 ID:ZtNSI1I00
九州で出土する「硯(すずり)」にしても、「鏡」にしても、「鉄」にしても
九州の三雲・井原遺跡の古墳時代(4世紀)の大型掘立柱建築物跡などの、すべての遺跡にしても

「漢委奴国王」の倭奴国のものなのか、「親魏倭王」の邪馬台国のものなのか、全く区別がついていない

つまり

九州説の証明は全く無い

むしろ

後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上
邪馬台国が「親魏倭王」となってからも続いた「漢委奴国王」の倭奴国のもの・・のほうが考古学的にしっくり来る

26: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 15:18:34.13 ID:ZtNSI1I00
吉野が里遺跡
後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上
邪馬台国が「親魏倭王」となってからも続いた「漢委奴国王」の倭奴国の遺跡です

三雲・井原遺跡
後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上
邪馬台国が「親魏倭王」となってからも続いた「漢委奴国王」の倭奴国の遺跡です

27: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 15:22:17.54 ID:ZtNSI1I00
纒向遺跡

邪馬台国の時代の前に、大陸と交易していた大きな国があった事実が見つからないので

邪馬台国の遺跡です

28: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 15:43:47.25 ID:MH8Fek800
邪馬台国畿内説は、否定証明完了済み。

卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。

しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。

つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。

これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。

邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。

はい、論破w


 

29: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 15:50:07.49 ID:MH8Fek800
ここまでのまとめ

1. 畿内説は考古学的にも文献的にも否定され尽くした。可能性は無い。ゼロ。
例えば>>28こんなもん一発で反論出来ずに大破轟沈するような代物。ただのネタ。
近畿パーは小保方擁護みたいなもの。「やっぱりオボちゃんが正しかったね。
オボちゃん叩いてた奴らはいつ謝るの。」とか邪馬台国論争で言ってるのが近畿パーだと思えば当たり。

2. 九州説は卑弥呼の墓が祇園山古墳であることまで突き止めた。
九州説の深刻な問題点は、御井周辺にある邪馬台国の具体的な位置を突き止められていないだけ。
他の問題はほぼ解決した。少なくとも深刻な矛盾点は全く何も無い。


 

30: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 15:54:11.47 ID:ZtNSI1I00
>>28
はいはい

九州説が伊都国だといっている

糸島市の三雲・井原遺跡は

後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上
邪馬台国が「親魏倭王」となってからも続いた「漢委奴国王」の倭奴国の遺跡で

伊都国ではありません

「漢委奴国王」の倭奴国のものなのか、
「親魏倭王」の邪馬台国のものなのか、
全く区別がついていないのに

なんの証拠もなく勝手に伊都国だと言っているだけです

31: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 15:57:10.64 ID:ZtNSI1I00
伊都国は、出雲です

王は出雲主王

長官「爾支(にき)」は出雲に派遣されれたアマテラスの孫の「邇邇芸(ニニギ)」

です

糸島市には、どんな王がいて、長官「爾支(にき)」は誰ですか?

33: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 16:27:07.13 ID:/5VFLbRw0
卑弥呼は邪馬台国にいただけであって邪馬台国の女王ではない
卑弥呼は女王国の王であり邪馬台国には別に官がいた
女王国とは邪馬台国を含む、およそ30カ国の連合国家のこと

34: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 16:28:51.98 ID:ZtNSI1I00
また末廬国は、石見国美濃・島根県益田付近です

対馬から南下すると対馬海流により西に流されるので、

アマテラスによって奈良の高天原を追放された素戔嗚尊が
新羅曽尸茂梨に渡り、日本に戻って来る際の上陸地とされるほど

古くからの大陸との渡航地点です

35: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 16:31:45.95 ID:ZtNSI1I00
間違えた

また末廬国は、石見国美濃・島根県益田付近です

対馬から南下すると対馬海流により 【東に流される】 ので、

アマテラスによって奈良の高天原を追放された素戔嗚尊が
新羅曽尸茂梨に渡り、日本に戻って来る際の上陸地とされるほど

古くからの大陸との渡航地点です

36: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 16:38:22.00 ID:1lqCVEwx0
邪馬台国じゃなくヤマトコクだからな。(邪馬臺国)

卑弥呼ではなくヒミコ(日巫女)だからな。

ヒメは日女で女子を指す言葉、彦は日子で男を指す言葉。


もうヤマト国で確定してんだよ。

39: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 16:45:45.10 ID:/5VFLbRw0
>>36
卑弥呼がいたのは元伊勢だよな

37: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 16:39:47.08 ID:A86Tgdw40
鬼道

はい終了

38: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 16:39:49.62 ID:ZtNSI1I00
おなじ理由で

対馬から南下すると対馬海流により 【東に流される】 ので、
一大国は、山口県萩市沖の見島です

もちろん

後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上大陸に渡航していた九州の「漢委奴国王」の倭奴国は

邪馬台国と同時期に

対馬から対馬海流を突っ切り、東に流されること無く
壱岐を経由して、糸島付近に上陸していたでしょうが

そのルートを

魏(220年 - 265年)から240年に任じられた「親魏倭王」の邪馬台国が使うのは無理です

40: 名無しさん@1周年 2019/08/14(水) 16:46:26.82 ID:1lqCVEwx0
邪馬臺国


これをいつまでもヤマタイコクと別の当て字を使って論じてるから間抜けな九州説とか言い出すんだよ。

大和を海とつながっていないとか言う古代の海だった近畿の地形を知らない時代の人間の寝言でしかなくなってるよ。

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