博士ニートまとめ

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    カテゴリ:歴史 > 戦争

    1: しじみ ★ 2018/05/21(月) 22:36:21.95 ID:CAP_USER
    【5月21日 AFP】ナチス・ドイツ(Nazi)の独裁者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)が
    1945年にベルリンで死亡したことは間違いないとする研究論文がこのほど発表された。
    研究者らは、ロシアで保管されている歯を調べ、青酸カリと銃弾によって死亡した可能性が高いとの結論に至った。

     論文の共同執筆者で大学教授のフィリップ・シャルリエ(Philippe Charlie)氏(病理・法医学)は、
    AFPの取材に「歯はヒトラーのものに間違いなく、疑問の余地はない。
    ヒトラーは1945年に死亡したことが調査で裏付けられた」と明言。
    「ヒトラーをめぐる陰謀説には全て終止符を打つことができる。
    彼は潜水艦でアルゼンチンに逃亡していなかったし、南極や月の裏側の秘密基地への潜伏などあり得ない話だ」と語った。
    シャルリエ氏ら5人の専門家からなる研究チームの論文は、
    欧州内科学会の「European Journal of Internal Medicine」誌に掲載された。

     ロシアの連邦保安局(FSB)と国立公文書館は2017年3月と7月にヒトラーの遺骨の調査を許可した。
    調査の許可は1946年以来となった。シャルリエ氏によると、いくつかの虫歯やの義歯を調べたところ、
    白い歯石の付着が確認でき、また肉の繊維の痕跡はなかったという。ヒトラーはベジタリアンだった。

     ヒトラーのものとされる頭蓋骨の断片には、左側に銃弾が通過してできたとみられる穴があった。
    サンプル採取は許可されなかったものの、
    死の1年前に撮影されたヒトラーの頭蓋骨のレントゲン写真と断片が「酷似している」ことが分かった。

     一般的にヒトラーは、1945年4月30日にベルリン市内の地下壕で、
    愛人エバ・ブラウン(Eva Braun)とともに自殺したと考えられている。

     シャルリエ氏は、今回の研究によって死因を特定することが可能になるとしている。
    「これまで、自らの命を絶つために青酸カリを使ったのか、
    それとも銃で頭を打ち抜いたのかは不明だったが、おそらくその両方だったのだろう」

     歯の分析では火薬の痕跡が見つからなかった。これは銃を口にくわえて発砲していないことを示唆するものだ。
    おそらく首や額に向けて発砲されたのだろう。
    他方で、虫歯に青みがかった付着物を確認しており、
    青酸カリと義歯に含まれる金属の化学反応が起きたことが考えられる。

     シャルリエ氏は、防腐処理を施し布で包まれて埋葬された
    リチャード1世(Richard Lionheart)の心臓の調査にも携わっている。(c)AFP

    画像:ナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラー
    no title


    AFP
    http://www.afpbb.com/articles/-/3175341?pid=20149886
    【アドルフ・ヒトラーは1945年にベルリンで死亡確定か、ロシアが保管していた遺体の歯と頭蓋骨を分析】の続きを読む

    1: しじみ ★ 2018/03/15(木) 16:14:51.35 ID:CAP_USER
    人間の歴史と「戦争」は切り離せませんが、歴史を変える戦争もあれば、
    中には後から振り返っても理解できない戦争もあります。
    ヨーロッパの歴史において史上最も意味のない戦いは何かについて、Live Scienceが考察しています。

    What Was the Most Pointless Battle in History?
    https://www.livescience.com/62009-what-was-most-pointless-battle.html
    no title


    史上最も無意味な戦いが何かを考えるときには決まって1942年にフランス・ディエップで起きた
    「ディエップの戦い」が有力な候補に挙がります。ディエップの戦いでは、
    不十分な戦力と作戦によって勝算が薄かった上に、戦前に作戦実行の秘密がドイツ軍に漏れていたため、
    カナダ・アメリカ・イギリスの連合軍は壊滅的な損害を受けています。

    また、1838年にフランスとメキシコとの間で起きた「菓子戦争」も、
    メキシコ軍に店を破壊されたと訴えた菓子職人の陳情を真に受けたフランス王がメキシコに賠償金を請求した結果、
    メキシコが宣戦布告して戦争が始まったという開戦理由から、無益な戦いの一つに挙げられています。

    しかし、これらの戦いを抑えて「史上最も意味のない戦い」の最有力候補には、
    1788年9月21日から22日にかけて起こったとされる「オーストリアとオスマントルコの戦い」をLive Scienceは挙げています。
    なお、この名前のつけられていない戦いは、オーストリア軍による相手なき戦いという事実上の自爆であり、
    とうてい戦争とは言えないシロモノです。

    1788年9月21日の夜、ローマ帝国皇帝ヨセフ二世の指揮の下、
    トルコ軍を迎え撃つべくオーストリア軍は夜間行進を行っていました。
    軍一行は休息をとるためにカランセベスという現在のルーマニアにある街で行進をやめると、
    騎兵将校たちは酒を買って飲み始めたそうです。
    酔っ払った兵がトルコ軍の攻撃を受けてパニックに陥ったオーストリア軍を批判して冗談を言ったところ、
    暗闇だったせいで状況を把握できない後方の兵士がトルコ軍の襲撃を受けたと勘違いしたとのこと。
    後方で発砲が起こると兵士たちはパニックになり、暗闇で銃撃戦が始まったそうです。

    一夜明けると1万人近くのオーストリア兵が死傷した血の海には、トルコ兵がいないことが判明。
    オーストリア軍は、その2日後にトルコ軍の襲撃を受けると、
    カランセベスはあっさりと陥落しトルコ軍の手に渡ることになりました。
    以上の通り、自爆によって敵にやすやすと攻め込まれることを許したところが、
    最も意味のない戦いと評価されるゆえんです。

    もっとも、オーストリア軍が「1万人の死傷者を出した」という記録について、
    近年では疑問の声も上がっています。カナダのマクギル大学のマシュー・メイヤー氏の研究によると、
    ジョセフ2世は1788年9月21日夜に起こった事件について兄のレオパルドに手紙を送っていたことが明らかになっており、
    その中に「最終的に落ち着きを取り戻したが、トルコ軍が前にいなかったのは幸運だった。
    そうでなければ軍全体が壊滅していた」と記していたことが発見されていますが、
    軍の被害が1万人だったという数字は出てこないとのこと。
    その他の歴史の記録でも「1万人」という数字は確認できないそうです。

    人々がオーストリア人が暗闇の同士討ちにより1万人の被害者を出したと記憶するのは、
    1968年に出版された歴史家ポール・バーナードの記した伝記「Joseph II」に、
    「1万人」という数字があるからですが、
    バーナードは数字の根拠を省略しているので信ぴょう性に疑問がもたれています。
    もちろん「史上最も愚か」であってもその歴史から学ぶべきことは多いはず。
    メイヤー氏は「この戦いを記した記録の正確性は見つめ直す必要がある」と述べています。

    GIGAZINE
    https://gigazine.net/news/20180315-most-pointless-battle/
    【歴史上最も意味のない戦いとは?】の続きを読む

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