博士ニートまとめ

博士を取りましたが進路が定まっておりません。
また、将来きちんと定職に就ける保証もありません。
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    カテゴリ:歴史 > 日本史

    1: 名無しさん@涙目です。(新潟県) [LB] 2019/03/13(水) 21:56:41.75 ID:a9rjKjBy0 BE:993788992-PLT(13001)
    Kalafinaが自身のグループ解散を事務所であるスペースクラフトの公式サイトにて発表した。
    2008年に結成し、約10年の活動を続けていたKalafina。
    2018年2月にプロデュースを担当していた梶浦由記がスペースクラフトとの契約を満了、
    その後メンバーのKeiko、Hikaruの事務所退社も報じられ、以降は実質上活動を停止していた。

    事務所サイドでは様々な活動を検討した結果、「Kalafinaとしては、活動を再開する事は困難であると判断し、
    改めてKalafinaの解散を決断し、お知らせするに至りました」と発表に至った経緯を説明している。

    https://www.barks.jp/news/?id=1000165422
    【歴史秘話ヒストリアのKalafinaさん、とうとう解散 】の続きを読む

    1: 樽悶 ★ 2019/02/23(土) 16:58:58.05 ID:GZHUdaiF9
     この国独特の差別問題である部落問題について、筆者は長く社会調査を続けて現状を分析し、それに基づいて今後の課題を提示するという作業を続けてきました。むろん、歴史家ではないとはいえ、この問題の由来や歴史的経過に無関心だったわけではありません。

     部落問題の発生については、古来、異民族起源説、宗教起源説、職業起源説などが提出され、しかし、それらは次々に全面否定されました。戦後になって、近世政治起源説(徳川幕藩権力が政治的・人為的に身分差別制度を設定した)が定説化するかに思われましたが、この理論も遅くとも前世紀末にはほぼ完全に崩壊しました。結局、部落問題の起源を「分からない」とするか、「みんなで作った」とするのが、現状では正解であるように思われます。

    ※省略

     ところで、部落差別、性差別、障害者差別などに通底する共通観念に「ケガレ」があります。これもまた、集合的無意識(共同幻想)の一種であると考えられます。「ケガレ」の説明はさまざまな分野で行われていますが、筆者は文化人類学者M・ダグラスの思索(塚本利明訳『汚穢(けがれ)と禁忌』思潮社)から影響を受け、その思考方法を支持しています。彼女は一方で、秩序に混沌(こんとん)を持ち込むもの、あるいは持ち込まれた混沌を「ケガレ」と見なし、他方では、分類が曖昧で中間的・境界的・周縁的なもの(たとえば糞尿や月経血などは「体内」でもあれば「体外」でもある)を「ケガレ」と認識しています。つまり、曖昧で意味が明瞭ではなく、既存の日常的な体制秩序に脅威を与えるもの(こと)が「ケガレ」であるわけです。

     前掲拙著を執筆中の筆者の頭のなかに浮かんでは消え、消えては浮かんでいたものの、結局は言及しないままになったテーマとして、「鬼(おに)」の問題がありました。むろん、この国の被差別者を「鬼」ないし「鬼の子孫」だと言いたいのではありません。そうではなく、「鬼」が集合的無意識ないし共同幻想としてこの国の人々によって構築されたプロセスと、かつての被差別者が作り出された(今後も作り出されるかもしれない)プロセスとの間に何らかの共通性があるのではないかという仮説的な問題意識です。

     「鬼」は「隠(おん)」の転訛(てんか)で、元々は隠れて見えないものを意味するようです。『岩波仏教辞典』には、「常民社会とは異なる世界にあって普段は目に見えないものの意。折に触れて常民社会に去来し、その生活に多大の影響(特に種々の災禍)を及ぼすと考えられた結果、畏怖(いふ)すべきものとされたのであろう」と見えます(93ページ)。また、文化人類学・民俗学の小松和彦さん(国際日本文化研究センター所長)もその近著『鬼と日本人』(角川ソフィア文庫)で、「<怖ろしいもの>を意味する<鬼>という語を手に入れた日本人は、自分たちとは<異なる>人々、たとえば海をわたって侵入して来る異民族の海賊や漂着者、山に棲(す)む先住の集団、自分たちの支配に従わない周辺の人々にも<鬼>というラベルを貼った」と論を展開しています(8ページ)。

    ※省略

     小松さんによれば、「鬼」は人間の否定像として造形されたものであり、逆に言えば、人間とは何かを規定するために「鬼」は不可欠な存在だったということです(前掲書、168ページ)。要するに、反社会的・反道徳的存在として「境界領域の鬼」を創造し、その「鬼」を差別・抑圧・排除することによって「外部」が「内部」に侵入することを防御し、「内部」秩序の安穏を実現するという仕組みです。したがって、「内部」にとって「鬼」という境界存在や「外部」は、「内部」の保全のために消費すべき必要不可欠な資源であったということになりましょう。

     今日の部落差別の原型が「鬼」の造形と同じ経路をたどって構築されたと断言することは、もちろん、できません。が、共同体「内部」の人々が、「内部」の秩序の安寧のために、集合的無意識ないし共同幻想のもとに、「鬼」を造形したのと同じように、みんなで何らかの「外部」または「境界」を作り上げ、それを差別・排外的に消費したのではないかという仮説は十分に成り立つのではないかと筆者は想定するものです。問われるべきは、「鬼」や「外部」ないし「境界」ではなく、それらの排除によって成り立つ「内部」そのものと、その中における人間関係の病理的な構成原理なのだと思います。(八木晃介花園大学名誉教授・元毎日新聞記者=社会学)

    毎日新聞 2019年2月23日
    https://mainichi.jp/articles/20190223/ddl/k26/070/521000c?inb=ra
    【【民俗学】異民族?先住民? 「鬼」から差別を考える 大江山の酒呑童子 】の続きを読む

    1: 名無しさん@涙目です。(SB-iPhone) [PA] 2019/02/23(土) 21:32:21.84 ID:X3o5yHnO0● BE:659060378-2BP(8000)
    外国人観光客が日本で一番多い東京ですが、
    「東京=日本だと思って観光しない方がいい」
    とアドバイスする外国人がとても多いです。

    確かに同じ日本でも、東京と地方の田舎では印象が全く違いますよね。
    「観光客こそ日本の地方に行ってみるべき!もっとリアルな日本の経験ができるはず(freshtomatoesさん)」、
    「東京だけを見て日本を知ったと思うのは間違い(jascinationさん)」。
    これは他の国でも同様に言えることで、
    ニューヨーク=アメリカではなく、
    パリ=フランスではありません。
    せっかく行くなら、地方も含めて色んな観光地をまわってほしいですね。

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    https://www.madameriri.com/2013/01/18/japan-travel-tokyo-gaikokujin/
    【アメリカ人「東京は歴史的建造物なく建物が新しくてつまらない」 】の続きを読む

    1: nemo(アメリカ合衆国) [RO] 2019/02/06(水) 18:15:05.77 ID:GonUa0qX0● BE:725951203-PLT(26252)
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    二条城の砂利道舗装へ、訪日客歩きやすく…京都

     京都市は、世界遺産・二条城(京都市中京区)敷地内の砂利道を舗装する方
    針を決めた。訪日外国人客らから「歩きにくい」との声が上がっていたためで、
    130年以上続く砂利敷きを見直す。新年度予算案に調査費900万円を計上
    する。

     二条城は、徳川家康が1603年に築城。1867年の大政奉還の舞台とし
    ても知られる。敷地内の通路約1・8キロは元々土敷きだったが、明治維新後
    の84年、宮内省(現宮内庁)に管理が移った際、砂利が敷かれたとされる。

     来場者は2017年度、約244万人と過去最多を更新。約6割が外国人と
    され、ベビーカーを使う家族連れや車いす利用者もおり、市の有識者委員会が
    16年、来場者が快適に観覧できるよう舗装化を提案していた。

     市は19年度に地下の埋設物を調査。景観にも配慮しながら舗装の素材や範
    囲を検討し、早ければ21年度に着工する。二条城は国指定史跡のため、工事
    には文化庁との協議も必要という。
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    https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20190206-OYO1T50028/
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    【【京都】二条城の敷地を舗装道路にします……外国人観光客様が歩きにくいので 】の続きを読む

    1: 名無しさん@涙目です。(玉音放送) [US] 2018/12/30(日) 18:22:20.78 ID:VgGk+2IE0 BE:194767121-PLT(12001)
    たまごっち、バトル鉛筆……平成の流行がクレーンゲーム景品に
    https://mainichi.jp/articles/20181230/k00/00m/040/071000c
    モッピー!お金がたまるポイントサイト

    【平成で流行った物と言えばたまごっちだな。あれ欲しがる子供は多かった。 】の続きを読む

    1: 記憶たどり。 ★ 2018/12/10(月) 09:41:44.96 ID:CAP_USER9
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181210-00010000-yomonline-soci

    東京都府中市の路上で、現金約3億円が輸送車ごと偽の白バイ警官に持ち去られた「3億円事件」の発生から、10日で50年となる。
    窃盗事件として捜査され、迷宮入りしたまま1975年に時効が成立した。現在の価値で30億円ともされる被害額の大きさや、
    大胆不敵な犯行手口は社会に強烈なインパクトを与え、数々の小説や映画、マンガの題材にされてきた。
    この事件を発生当初から時効まで取材した元読売新聞記者に、当時の捜査の内幕や、一部で本命視された「警官の息子犯人説」などについて聞いた。

    犯人がなぜか“ヒーロー”に

    事件は1968年12月10日朝に発生した。東芝府中工場で働く従業員のボーナス2億9434万1500円を運搬していた日本信託銀行国分寺支店の
    現金輸送車(ニッサンセドリック)が、東京都府中市の府中刑務所の塀沿いの通りで、“白バイ”に乗って現れた男に停車を命じられた。

    制服姿で白いヘルメットをかぶった男は「支店長宅が爆破された。この車にも爆弾が仕掛けてあるかもしれない」と言い、
    運転手ら4人を車から降ろした後、輸送車の下に潜り込むと、「ダイナマイトだ。逃げろ」と叫んだ。車の下から煙が上がり、
    4人が避難すると、男は輸送車を乗っ取って逃走。約1.3キロ北の史跡に隠しておいたトヨタカローラに3億円の入った三つの
    ジュラルミンケースを積み替え、走り去った。輸送車の下から出た煙は、発炎筒によるものだった。

    カローラは約4か月後、さらに北東に約5キロ離れた小金井市内の団地駐車場で発見された。ジュラルミンケースは車内に残されていたが、現金は消えていた。
    この車は事件直後に乗り捨てられていたことが、その後の捜査でわかった。

    白バイ警官を装った男の言葉を、輸送車の銀行員らが信じたのは布石があったからだ。
    事件の4日前、この支店に「300万円を女子事務員に持たせろ。言うことを聞かないと爆破する」という脅迫状が届いていた。

    一方で、奪われたボーナスは、翌日には無事、工場の従業員たちに支給された。銀行の損失は保険で賄われ、保険会社も別の保険会社と再保険を結び、
    さらにその保険会社が海外の保険会社と再保険契約を交わしていた。結局、被害額は海外の損保が負担したため、後に誤認逮捕などの問題も起きたが、
    発生当初は“国内では誰も損をしなかった事件”とも呼ばれた。

    事件発生当時、読売新聞の八王子支局員だった田中正人さん(76)は、大学を出たばかりの新人記者としてこの大ニュースに遭遇した。
    取材者にとっても世間にとっても、まさに未曾有の事態だった。 

    「偽白バイ、逃走用と何台もの車両を使い分けた手口は当時の日本では例がなく、強烈な印象を残した。銃器も刃物も使わず、車を駆使して
    巨額の現金を奪ったうえに、被害額が保険で賄われて損した人が国内ではいなかったことから、犯人をヒーロー視するような雰囲気さえあった」

    大量の遺留品…犯人逮捕に「楽観ムード」

    読売新聞は発生当日、府中市内の通信部(家屋兼事務所)に取材拠点を置いた。田中さんはその日からここに泊り込み、
    捜査本部の置かれた警視庁府中署に通う毎日となった。 

    「通信部には本社から社会部の記者が大挙して取材しにきて、火事場のような騒ぎだった。ただ、偽の白バイには大量の遺留品があり、
    盗まれた現金輸送車もその日のうちに見つかったことで、捜査員の中には物証を一つ一つたどっていけば、犯人はすぐに見つかるという楽観ムードがあった。
    取材する記者も同じだった。むしろ我々は『いつ犯人が逮捕されてもおかしくはない。他社にそれを抜かれたら(先に報道されたら)クビ』というプレッシャーがあった。
    発生から1週間はほとんど寝られなかった」

    「楽観ムード」を象徴するとして、田中さんはあるエピソードを挙げる。事件発生直後の記者会見で、盗まれた500円札の番号2000枚分を捜査本部が公表したのだ。 

    「会見場でメモを取りながら、『えー、それ言っちゃうの』と驚いた。3億円のうちの100万円分だから、犯人がこれを知ったら、その札を使わないか、処分してしまうだろうと」 

    田中さんが危惧した通り、捜査は難航を極めることになる。
    【【昭和】3億円事件から、今日10日で半世紀・・・。当時本命視された「警官の息子犯人説」の舞台裏 】の続きを読む

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