博士ニートまとめ

博士を取りましたが進路が定まっておりません。
また、将来きちんと定職に就ける保証もありません。
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    カテゴリ:歴史 > 日本史

    1: 名無しさん@涙目です。(玉音放送) [US] 2018/12/30(日) 18:22:20.78 ID:VgGk+2IE0 BE:194767121-PLT(12001)
    たまごっち、バトル鉛筆……平成の流行がクレーンゲーム景品に
    https://mainichi.jp/articles/20181230/k00/00m/040/071000c
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    【平成で流行った物と言えばたまごっちだな。あれ欲しがる子供は多かった。 】の続きを読む

    1: 記憶たどり。 ★ 2018/12/10(月) 09:41:44.96 ID:CAP_USER9
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181210-00010000-yomonline-soci

    東京都府中市の路上で、現金約3億円が輸送車ごと偽の白バイ警官に持ち去られた「3億円事件」の発生から、10日で50年となる。
    窃盗事件として捜査され、迷宮入りしたまま1975年に時効が成立した。現在の価値で30億円ともされる被害額の大きさや、
    大胆不敵な犯行手口は社会に強烈なインパクトを与え、数々の小説や映画、マンガの題材にされてきた。
    この事件を発生当初から時効まで取材した元読売新聞記者に、当時の捜査の内幕や、一部で本命視された「警官の息子犯人説」などについて聞いた。

    犯人がなぜか“ヒーロー”に

    事件は1968年12月10日朝に発生した。東芝府中工場で働く従業員のボーナス2億9434万1500円を運搬していた日本信託銀行国分寺支店の
    現金輸送車(ニッサンセドリック)が、東京都府中市の府中刑務所の塀沿いの通りで、“白バイ”に乗って現れた男に停車を命じられた。

    制服姿で白いヘルメットをかぶった男は「支店長宅が爆破された。この車にも爆弾が仕掛けてあるかもしれない」と言い、
    運転手ら4人を車から降ろした後、輸送車の下に潜り込むと、「ダイナマイトだ。逃げろ」と叫んだ。車の下から煙が上がり、
    4人が避難すると、男は輸送車を乗っ取って逃走。約1.3キロ北の史跡に隠しておいたトヨタカローラに3億円の入った三つの
    ジュラルミンケースを積み替え、走り去った。輸送車の下から出た煙は、発炎筒によるものだった。

    カローラは約4か月後、さらに北東に約5キロ離れた小金井市内の団地駐車場で発見された。ジュラルミンケースは車内に残されていたが、現金は消えていた。
    この車は事件直後に乗り捨てられていたことが、その後の捜査でわかった。

    白バイ警官を装った男の言葉を、輸送車の銀行員らが信じたのは布石があったからだ。
    事件の4日前、この支店に「300万円を女子事務員に持たせろ。言うことを聞かないと爆破する」という脅迫状が届いていた。

    一方で、奪われたボーナスは、翌日には無事、工場の従業員たちに支給された。銀行の損失は保険で賄われ、保険会社も別の保険会社と再保険を結び、
    さらにその保険会社が海外の保険会社と再保険契約を交わしていた。結局、被害額は海外の損保が負担したため、後に誤認逮捕などの問題も起きたが、
    発生当初は“国内では誰も損をしなかった事件”とも呼ばれた。

    事件発生当時、読売新聞の八王子支局員だった田中正人さん(76)は、大学を出たばかりの新人記者としてこの大ニュースに遭遇した。
    取材者にとっても世間にとっても、まさに未曾有の事態だった。 

    「偽白バイ、逃走用と何台もの車両を使い分けた手口は当時の日本では例がなく、強烈な印象を残した。銃器も刃物も使わず、車を駆使して
    巨額の現金を奪ったうえに、被害額が保険で賄われて損した人が国内ではいなかったことから、犯人をヒーロー視するような雰囲気さえあった」

    大量の遺留品…犯人逮捕に「楽観ムード」

    読売新聞は発生当日、府中市内の通信部(家屋兼事務所)に取材拠点を置いた。田中さんはその日からここに泊り込み、
    捜査本部の置かれた警視庁府中署に通う毎日となった。 

    「通信部には本社から社会部の記者が大挙して取材しにきて、火事場のような騒ぎだった。ただ、偽の白バイには大量の遺留品があり、
    盗まれた現金輸送車もその日のうちに見つかったことで、捜査員の中には物証を一つ一つたどっていけば、犯人はすぐに見つかるという楽観ムードがあった。
    取材する記者も同じだった。むしろ我々は『いつ犯人が逮捕されてもおかしくはない。他社にそれを抜かれたら(先に報道されたら)クビ』というプレッシャーがあった。
    発生から1週間はほとんど寝られなかった」

    「楽観ムード」を象徴するとして、田中さんはあるエピソードを挙げる。事件発生直後の記者会見で、盗まれた500円札の番号2000枚分を捜査本部が公表したのだ。 

    「会見場でメモを取りながら、『えー、それ言っちゃうの』と驚いた。3億円のうちの100万円分だから、犯人がこれを知ったら、その札を使わないか、処分してしまうだろうと」 

    田中さんが危惧した通り、捜査は難航を極めることになる。
    【【昭和】3億円事件から、今日10日で半世紀・・・。当時本命視された「警官の息子犯人説」の舞台裏 】の続きを読む

    1: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/12/11(火) 22:23:05.386 ID:9A5Fyzsya
    仰天ニュースでいまみてるわ JR西日本ってやばくね? 死者107人とかさ やばすぎだろ
    【福知山線 脱線事故をみて JR西日本ってやばい会社なんじゃないか? 死者107人だってよ 】の続きを読む

    1: 名無しさん@涙目です。(東日本) [US] 2018/12/07(金) 07:25:37.48 ID:YR9Ea9/P0 BE:837857943-PLT(16930)
    平成も来年で30年を迎えるわけですが、その1つ前である「昭和」はもうかなり昔の話になってしまいますね。
    およそ30年の間に様々な技術や文化が進化していったワケですが、「常識」もその1つかと思います。

    そこで今回は「信じられない昭和の常識」をアンケート、ランキングにしてみました。
    今では信じられない「昭和の常識」とは、一体どのようなものだったのでしょうか?

    1位電車内でタバコが吸えた 136票
    2位1ドルは360円 134票
    3位電車のトイレは線路上に垂れ流し 132票
    4位飛行機でタバコが吸えた 109票
    5位病院の待合室でタバコを吸っている人がいた 103票
    6位駅のホームなどには痰(たん)を吐くための痰壺があった 101票
    7位映画館でタバコが吸えた 100票
    8位部活中などに水を飲んではいけない 98票
    9位ゴールデンタイムのテレビ番組で女性の裸が放送されていた 95票
    10位消費税はなかった 88票

    11位バイクはヘルメットナシでもOKだった 84票
    12位子供でもお酒やタバコが買えた 83票
    13位職員室で先生がタバコを吸っていた 81票
    14位不在時に宅配便が届くと隣の家の人が預かってくれた 76票
    15位会社の中でタバコを吸いながら仕事をしていた 74票
    16位正月はどこの店も閉まっていた 73票
    17位車の運転はシートベルトなしでもOKだった 72票
    18位待ち合わせに失敗したら駅の伝言板にメッセージを残す 66票
    19位学校で先生にゲンコツやビンタされても問題にならなかった 63票
    20位学校給食に鯨肉が出ていた 62票

    21位給食にご飯がなく、パンかソフト麺だけ 60票
    22位真冬に小学生が男女問わず上半身裸で乾布摩擦 59票
    23位絵が動かないテレビCMがたくさんあった 53票
    24位給料が手渡し 51票
    24位1リットルのジュースはペットボトルではなくガラス瓶に入っていた 51票
    26位缶ジュースは100円 47票
    27位一般人にドッキリを仕掛けるテレビ番組があった 46票
    28位テレビのゴールデンタイムで毎週プロレスを中継していた 45票
    28位公衆電話がそこらじゅうにあった 45票
    30位テレビから流れる音楽を息を潜めて録音する 44票

    https://ranking.goo.ne.jp/column/4638/
    【今では信じられない!昭和の常識ランキング 1位電車でタバコ 2位1ドル360円 3位電車のトイレはボットン 】の続きを読む

    1: 名無しさん@涙目です。(東京都) [US] 2018/12/01(土) 09:34:07.16 ID:/H/4mFV/0 BE:306759112-BRZ(11000)
    「日本には3万から4万のお城があると言われています。
    私がお城の研究をはじめた50年前は、城跡の多くは未整備で、歩いていたのは年配の方ばかりでした。
    最近は若い女性の姿も見かけるようになりましたね」

     と、静岡大学名誉教授の小和田哲男さんは語る。
    小和田さんが理事長を務める日本城郭協会も主催団体に名を連ねる「お城EXPO 2018」が今年も横浜で開催される。

    「これまで各地で研究発表が行われていましたが、全国レベルで集まって開かれるものはあまりなく、
    よりお城文化を発展させる目的で開催に至っています。
    会場では全国から70近くのお城が出展して、最新の調査成果や観光情報を紹介しています。
    それと今年は再来年の大河ドラマの主役、明智光秀が築いた城に関する貴重な書状が公開されますよ」

     数多くのお城を見てきた小和田さんのいまお薦めのお城は?

    「島根県の月山富田城(がっさんとだじょう)ですね。
    近年整備されたことで、尼子氏の居城であった中世山城の部分と、江戸時代の堀尾氏が改築した近世的な部分の両方を楽しめるんです」


    お城好きがすすめるいまオススメのお城は、島根県の……
    http://bunshun.jp/articles/-/9856
    【城好きのお前らがオススメするお城と言えば? 】の続きを読む

    1: 樽悶 ★ 2018/11/08(木) 17:48:25.53 ID:CAP_USER9
    講演後にシンポジウムが行われた=10月13日、國學院大學(東京都渋谷区)で
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    シンポジウム「考古学が明かす新たなキリシタン像」が10月13日、國學院大學(東京都渋谷区)で開催され、約300人が集まった。

    このシンポジウムは、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されたことを記念した特別展「キリシタン──日本とキリスト教の469年」(主催:國學院大學博物館、西南学院大学博物館)の関連企画。9月15日から10月28日まで國學院大學博物館で開かれ、現在は西南学院大学博物館に会場を移して開催されている(11月2日~12月13日)。

    シンポジウムには、國學院大學准教授の深澤太郎(ふかさわ・たろう)さん、東京藝術大学非常勤講師の今野春樹(いまの・はるき)さん、大浦天主堂キリシタン博物館研究部長の大石一久(おおいし・かずひさ)さんが登壇し、これまでの研究成果を報告した。

    國學院大學准教授の深澤太郎さん= 10月13日、國學院大學(東京都渋谷区)で
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    深澤さんは「日本における宗教考古学とキリスト教」というテーマで講演した。

    「日本では、在来のアニミズム的神道と、仏教をはじめとする外来宗教が、時に独自性を主張しつつも、ゆるやかに並存・融合していた。かくれキリシタンも、その遺物から、神仏信仰と併存しながら信仰を生きながらえさせていたことが分かる。悲惨なキリシタン弾圧に注目されがちだが、1587年の豊臣秀吉によるバテレン追放令まではかなりの勢力を持ち、キリシタンによる廃仏毀釈も行われている。高価な出土品を見ても、弾圧だけでなく逆の立場もあった」

    東京藝術大学非常勤講師の今野春樹さん=10月13日、國學院大學(東京都渋谷区)で
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    続いて登壇した今野さんは、「キリシタン考古学の枠組み」と題して語った。今野さんが調査で重視するのは、キリシタン墓碑だ。

    「キリシタン関連の遺物が注目されるようになったのは大正時代に入ってからで、それは京都で偶然発見された墓碑に始まる。これまでの調査から、従来の虐げられたキリシタン像とは違う姿が明らかになった。各遺跡から確認される墓はどれも、長軸方向を一にして整然と配列されている。そこには、墓を営むうえでの計画性と、埋葬に際しての冷静さと心の余裕を見いだすことができる。人の心の中身までは解明することはできないが、墓の様子からも暮らしぶりが分かる。キリスト教徒として生涯を全うし、天に召された人々がいたことは間違いない。各遺跡で整然と並ぶキリシタン墓を見ると、生涯を通じてキリスト教信仰を保ち、幸せなうちに一生を終えたキリシタンがたくさんいたことが想像できる」 
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    大浦天主堂キリシタン博物館研究部長の大石一久さん=10月13日、國學院大學(東京都渋谷区)で
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    最後に大石さんが、「天正遣欧使節と千々石(ちぢわ)ミゲル」という題で話をした。千々石ミゲルは、日本初のキリシタン大名、大村純忠のおいで、1582年に伊東マンショらと一緒にローマに派遣された少年遣欧使節団のメンバーの一人。帰国後はイエズス会を脱会し(1601〜03頃)、棄教したと伝えられてきたが、昨年、ミゲルのものと思われる墓からロザリオなど信仰用具が発見されたことにより、ミゲルの棄教に疑問が投げかけられた。

    大石さんはミゲルの墓の発掘に初めから関わり、謎(なぞ)の多いその生涯を精力的に調べてきたが、ミゲル脱会の背景には当時のイエズス会のあり方に問題があったと見る。領土拡大という政治的意向を持つ者や、その国の文化を尊重するどころか破壊していったという悲劇もあった。つまり、イエズス会士の中には、キリストの愛を説く「祈りの顔」と、自らの利益のために他国の文化や信者の純粋な信仰を踏みにじる排他的な「刃(やいば)の顔」があったのだ。ミゲルはその二面性に耐えられずイエズス会を離れたというのが大石さんの見解だ。

    しかしその一方で、ミゲルが脱会後に住んだ地域すべてがキリシタンのいる地であったことから、ミゲルはイエズス会を辞めたものの、信仰は捨てていなかったと推測する。「墓の外からではキリシタンかどうかはまるで分からなかったミゲルの墓から、ロザリオなどが発見されたのはまさに奇跡であった」と締めくくった。

    クリスチャンプレス 2018年11月7日
    https://www.christianpress.jp/kokugakuin-university-symposium/


    【【東京】キリシタンは弾圧されただけではかなった? 國學院大でシンポ「考古学が明かす新たなキリシタン像」 】の続きを読む

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